新年のご挨拶 -衣主-2017.01.04
ほつほつと時間が流れ、年が変わりました。一年を振り返ると、いつも少し長い映画を見た後のような気がします。年が明けて、節分の過ぎる頃には その映画が何となく分かってきます。
夏が行く頃には、本筋も分かり サスペンス物か、アドベンチャー物か、またまた、コメディ物か・・・・、おもしろくないストーリーになりそうな時は とりあえずドンデン返しを作りに出かけてみます。それは、新しい工場だったり、夏のスキー場だったり、山奥の寺だったり・・・・。
でも、いつも いつも 山寺に包丁を研ぐ老婆がいたり、油をなめるしっぽが分かれてる猫が居るわけではありません。普通にお坊さんが座ってるだけです。映画館なら、途中で席を立ちたくなる気分です。
子供の頃は一年がとても長く感じたのに、歳をとるにつれてとても早く感じる・・・。
よく 耳にする話です。
10歳では10kmの速度、18歳は18kmの速度、50歳は50kmの速度で時間の過ぎるのを体感すると言われるように、時が過ぎていく感覚は坂道を転げるように 加速してて、いつも誰かに大声で追い立てられてる気さえします。
それは、フランスの哲学者ジャネーの法則によると、同じ事を繰り返し何度も経験すると時間は早く感じ、初めての事や何か楽しみを待つと、時間は中々進まなく感じるらしいのですが、これも、嘘です。(笑) 新幹線のように時は流れます。
今年はもしかしたら、戦闘機のような速さかも分かりません。でも、そんな毎日でも年甲斐の無い生き方をしたいと願っています。思い通りいかなければ、暴れてみる・・・・。野次馬根性を忘れずに。なぜなら、チャンスはそれをこなせる能力があるからこそやってくる、と思うので時間感覚に追いつかなくても、背負う荷物が重くても、昨年見た感動の映画よりも、少しでも超えられるストーリーの映画を上演してみたいと思っています。
今年もよろしくお願い申し上げます。
衣主
衣時間2016.06.29
それは、暦の上では、「梅雨」の真っただ中にありながら、降り疲れた雨神様が中休みしたような快晴の暑い一日でした。
遠く関東や九州の手前にお住まいの方々を含む沢山のお客様が、得体の知れない【衣ミステリーツアー】なるものに、こわごわ参加されました。もちろん、本来の目的は、お客様とスタッフとの久しぶりの交流ではありますが、観光名所にもガイドブックにもおおよそ載ってない秘密の体験をして頂くこと。そして大人になって出来にくくなった遊びを、いつもの理性をとっぱらって、やんちゃな自分を思い出す旅にお連れしたかった訳です。
緊張された顔を拝見できたのは、昼食まででした。机の上の鍋でゆっくり膜を張る湯葉を慎重にすくい上げないとならないのに、勝手に分けられたチームごとのゲームの勝敗に、ついお箸を持つ手に力が入り、崩れた湯葉に舌鼓ならぬ、舌打ちが聞こえてきた宴会のお席でした。バスの車内でも白熱のゲームが繰り広げられていた様子。
ほんの2時間前までは逢ったこともない方々が、テンション最高調で思わずハイタッチ。大きく差がついた得点をひっくり返すべく、大自然の中を駆け巡る妖怪退治。いつもの事ではありますが・・・・仕事の時には見せてくれない(笑)パワー全開のスタッフ妖怪たちに、お客様より感動してみたり、日頃の不満の少しは吹き飛んだのかと、安心したりもしました。
そんな合戦を見ながら、ぼんやり頭に浮かんできたのは、最初に拝観した広隆寺の弥勒菩薩の姿です。台座に座り片足を上げ、指先がやわらかく曲がり頬に触れる半跏思惟像【はんかしゆいぞう】のやわらかな微笑みの面立ち。千年以上その姿を守り続け手を合わしてきた人々の祈りの対象の仏像というよりも、向かい合った相手の心の中まで見透かして、口に出せず悩んでいることさえも平穏に浄化してくれるのではないか?と思うほどのやわらかい漂いの空気を全身から出してる仏像でもありました。
国と国、人と人が、ぎくしゃくしてきたことを感じられる最近の世の中で、こんな風に笑いながら戦う事が出来たなら、もう少し、穏やかで、やさしい関係が出来るのに・・・と遠い目線の向こうで大きな大人が水鉄砲で必死で戦う姿をみて思った時間でした。
子供の頃遠足やお祭りを待つのは長いのに、迎えたその日が行く時間の早い事。それを思い出すように、この日の京都は不思議な国のアリスの飼いウサギが時計をいじったかのような速さで西日が沈みました。
この度は「京都ミステリーバスツアー」にご参加いただき、誠にありがとうございました。衣時間に身をゆだねて頂き、京都の歴史を全身で満喫して頂けましたでしょうか・・・・?
衣主(ころもあるじ)
新年のご挨拶 オスティア・ジャパン衣 主2013.01.04
「青い瞳の阿波藍作家」 衣主(ころもあるじ)2012.06.13
その、澄んだ青い瞳は、藍の色が映ったのですか・・・?空の青が海の青に反映され、「色」という言葉では表現できえない色彩を生み出す自然のように、その人の瞳は輝いていました。
去年、阿波藍を本格的に勉強したくて、通った徳島の大学の中にある「藍の家」で彼女に初めて出逢った時の印象です。
ちょっとした観光の寄り道くらいかと思っていたその人は、遠い国から、ただただ、ジャパン・ブルー藍色に引き寄せられ、確たる信念の中、阿波藍の魔力にとりつかれた一人だったのです・・・。そして、その真剣な横顔に惚れてくれたご主人と巡り逢い、この地に根を下ろすことを決めた人だったのです。
藍は世界でも数少ない付着染料であるがゆえ、時間をかけ繊維に染み込ませないとなりません。静かに1点を見つめ、まるで心で対話した想いを聞き届けたような藍の色は、透き通った流水の中で華やかな青色を放ちはじめます・・・。多彩な色の溢れる現代の中に、はっきりと藍染めの居場所を見つけてあげれるような人だと想いました。
「この人に 染めてもらいたい・・・・。」
直観で感じた想いは見事、叶えられました。今週末より、京都三条店から始まる「青い瞳の阿波藍作家・吉原ホルバート・ハンガ展」。是非、足を運んで彼女の世界を楽しんで下さい。(※一部、開催されない店舗もございます。)
衣 主(あるじ)
新年のご挨拶 衣 主 (ころもあるじ)2012.01.04
明けましておめでとうございます。
…一年が、又、始まります。
人々の生活や思い出の写真一枚までをも飲み込んだ、あの大津波のように、時間という物は絶対的な力で過去を飲み込んでいきます。一方で、孤独に苦しかった事も、体が震えるほど腹が立った事も流し去り、静かなさざ波にしてくれるのも時間です。時間というものと対等に戦えるものは、きっとこの世には何もないのだろうと思ってしまいます。
拘束の多い毎日の中で、私が唯一楽しみにしている“無所属”な時間を過ごす場所があります。
京都から電車を乗り継ぎ3時間…。空気が凛と冷えきった駅から車で30~40分。野生のシカの群れが狭い山道を占領する、人里離れた奥深い山あいのつきあたりに、そこはあります。
とりわけ一人が好きな訳でもないのですが、人はどこか自分と対峙して、自分を取り巻く人や環境に感謝し、自分が何なのかを考える場所と時間は必要だと考えています。
木から落ちた小枝のように流れに身をまかせて生きていく事は出来ないにしても、川の中央の石ころにひっかかり、もたれることも、時にはありがたいものです。
そこのパンフレットに書かれていた言葉がとても好きです。
「私たち人間は『意志』と言うモノを持ち合わせています。同じように大自然にも『意志』は存在します。土や水、空気、草、木…、みな『意志』を持っています。ですが、現代人はいつしか大自然が放つ『意志』を聞こうとする事を止め、ただ、自己の為だけに生きるようになってしまい、『癒し』や『安らぎ』が必要とされる時代が訪れる事となりました。(略)」
私達が2011年に遭遇した出来事が何かを伝えたい自然の意志だとしたら、人類全てが考える時間が必要な気がします…。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
『阿波藍』 衣主(ころもあるじ)2011.09.30
「四国三郎」
これは徳島県を東西に流れ、昔から雨季には毎年の様に氾濫を繰り返し、加工沿岸の農家の人々を苦しめてきた暴れ川「吉野川」の異名です。
先月、台風15号が接近する土砂降りの雨の中、走る車からみた水位の上がった吉野川は“コワイ”とまで思いました。でも、ここ阿波の国の人々は、この吉野川が上流から運んでくる沃土(よくど)を利用し、雨季まで収穫できる蓼藍(タデアイ)を栽培し、水田を藍畑に変え、天然染料の王道、阿波藍の美しさを育ててきたのです。
四国大学の“藍の家”で、阿波藍の伝統工芸士作家を講師に迎え、朝9時からの勉強会に参加した私にとっては、この天気もひとつの意味を持っていたのかも知れません。
“筒描き”と“ろうけつ”
私が選んだ講義です。渋紙製の筒に米糊を入れ、もみ出し、紋様を描き、藍が染まらないよう、防染し作品を仕上げる。
言葉にすれば一言なのですが、自由にならない糊との格闘、藍甕(あいかめ)につける時間の秒単位、分単位の争い。“気まぐれ”が好きな私は、きっと誰よりも心の中が悪戦苦闘でした。
何でもスピードの時代…。どうバイパスで近道を作り、いかに速く目的地にたどり着くかを考える。それが、とても名誉な事のような今の時代…。でも、そこには時代に逆流し、何かを訴え続けているような時間がありました。
眠りからさめた藍の色素が水面を走り、布に広がる青色の風景。何かの啓示のごときものさえ感じさせてくれました。時の階段を降りているのかも知れないけれど、私の中の“旬”が今、この『阿波本藍』です。
ハンガリーから、この大学に勉強に来られている方に教えられた言葉です。
「“阿波藍”は宝石です。どんなダイヤモンドより素晴らしい。」
我々民族の宝物を少しずつでも伝え、残すことも、大切な役割かも。もうすぐ吉野川のまわりの畑には、二期目の藍の花が咲きます。
「少数民族」 衣主(ころもあるじ)2011.09.09
今から10年ほど前、まだ工房と名のつく場所もなく、自宅のお風呂場を青くしてバケツで藍染めをしてた頃、古い蛇口から出る流水の濁った色が透明に変わった時のように、バケツから顔を出したその藍色のTシャツに心踊った事を、最近、妙に思い出す事が多いです。
ちょうどその頃、出逢った徳島の阿波藍の職人さんに、当時、素朴な質問をしてみました。
“なぜ日本人は藍色が好きなのでしょうか?”
“それは日本人の血だよ”
その答えに次の質問をさえぎられ、音のない時間を感じ、だまりこくったのが、つい昨日の事のようです。
どんな科学をもってしても、解明できない刷り込まれた民族の誇りの様なものを、私は伝えたかったのかと、この頃ようやく分かってきた気もします。
豊かさに甘えた大人のケンカ…。最近、テレビのニュースを見てつくづく思います。
国際化とは、世界のあらゆる社会や国家、そして民族をフードプロセッサーに入れてミックスジュースを作ることではないのでは…。
他人(ひと)と自分の関係性の中に“心地よさ”が行き交うことで、すべての人達に、ほんの少し、ささやかな幸せが広がっていく…。それこそが世界中の民族の一人一人の役目のような気がします。
最近、また阿波藍にひかれ徳島に足を運び、手を青くすることが多いのは、自分の中の“心地よさ”を探しているのかも知れないです。
「衣 有縁祭り」 延期のお知らせ2011.03.16
平成23年3月11日に発生しました東北地方太平洋沖地震により、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
3月26日(土)に予定しておりました、2011年春夏 衣 パフォーマンスショー「有縁祭り」及びパーティは延期させて頂きます。 お申し込み頂いておりましたお客様には大変ご迷惑をおかけし、また連絡が遅れましたことを、深くおわび申し上げます。
“お申し込みチケット”をお持ちの方は、順次スタッフよりご連絡させていただきますので、破棄せず引き続きお持ちください。 また“販売チケット”は引き続きご利用いただけますが、返金も受け付けます。その際、お代金は“販売チケットと引き換え”となりますので必ず購入店舗までお持ち込みください。
今後の詳細につきましては、ブログ“かわら版”内にて、ご連絡させていただきます。どうぞ、宜しくお願いいたします。
平成23年3月16日
有限会社 古代新
代表取締役 近藤 香預子
オスティア・ジャパン衣 スタッフ一同
新年のご挨拶 衣 主 (ころもあるじ)2011.01.05
あけましておめでとうございます。
毎年恒例、衣スタッフが店対抗で出し物を披露する衣のお祭り大忘年会も無事終わり、1年に1回のホントにわずかな時間ですが、スタッフみんなで“笑い”を共有する事が出来ました。
本社スタッフが「ゲタでタップダンス」というウルサイ出し物をするために、普通の忘年会が出来る会場ではOKがもらえず、いつも作品がズラリとならぶ衣のお店を片付けての自分たちでの手作り忘年会です。
私の役目は、その日の料理。福袋の最終仕上げで、ごった返す社内を横目で見ながら、持ちきれないほどの食材を買い込み、1日中奥まった台所の湯気の中です。
壁一枚の静と動…。
あと何時間かで集まるであろうスタッフの嬉しそうな顔を一人一人思い浮かべ料理をしていると、誰かのために何かが出来る喜びと、その相手がいてくれることに改めて感謝させられます。
そしてこの仕事を長くやっているうちに身についた困った癖。自分がかなりせっかちになっている事を反省し、忘れてしまっていたゆっくりと心地良い時間を取り戻せた時でもありました。
仕事と家事は似ているのかも知れません。 心臓が毎日一定のリズムで動いているように、食べる事も仕事も生活の基盤であり、毎日毎日、同じことの繰り返しでもあります。 ともすれば食事を「エサ」、仕事を「作業」感覚でこなしてしまう紙一重の狭間で戦ってきた自分に、「飽きたら負け!」と立ち上がる湯気に言われた気がしました。
人を想い、人との絆があって生まれるのが真のおもてなし。自分の体が気持ちいいと感じる空気、そこから出てくる“気”。職人たちが精魂込めて作った思いの“気”。
その“気”が衣から湯気のように立ち匂うよう…。そして作り手の努力が時を重ねるほど深まりますよう…。多くの思いを訴えかける作品を、今年もお届けしたいと思います。
今年も一年、宜しくお願い申し上げます。
「邂逅(かいこう)」2007.12.30
雪深い土地からも一目置かれる存在の
「京の底冷え」。
四方が山に囲まれ、決して広くない土地
“京都盆地”が生んだ言葉だ。
そんな体の芯まで冷え込む「底冷え」が始まりかけた
2007年の年末、衣の『祭り』がとりおこなわれた。
東京や名古屋にいるスタッフも含め、
一年に一度、唯一全員が集まる同窓会の様な忘年会だ。
いつごろから、飲んで食べての忘年会が、
各店競っての“出し物”をするようになり、
衣の最大イベントになったのか はっきり覚えてないのだが、
今では お呼びがかかれば全国巡業したいくらいに
素晴らしい役者揃いになっている。
衣各店6店舗と工房チーム、計7チームが“感動”という出し物をするのだ。
今年のプログラムは・・
コロモールの『歌謡ショー』
大津パルコ店の『一撃!』
名古屋パルコ店の『大道芸人』
寺町店の『真吾タイトルマッチ』
三条店の『don’t stop me』
代官山店の『ギターと替え歌』
そして・・・工房チームの『千手観音』だ。
笑いの津波は、押し寄せるだけで 返す事なく一気に会場を埋め尽くす。
それぞれの感性の引き出しの中に保管してあった物が
吹き出し、狭い空間をひしめきあっている。
スタッフ一人一人の中に決して存在しないであろう物が、
天啓の様に高いところから降ってきているのではないか・・と
天を見上げてしまうほどだ。
「いのちが笑いを食べている。」と実感する瞬間でもある。
この日の為に使った時間や労力が
お金に変わる訳ではないのに、
「ただ感動させたい・・。」それだけの信念が こうも人を動かすのか、と
不思議である。
衣は、この笑いや空気を厚く深く蓄積した重層構造で
出来ているのかもしれないと思う・・・。
優勝の金一封は、審査員によってつけられた点数より、
ゲームの得点で稼いだ 代官山チームが勝ち取って『祭り』は終わった。
私の好きな言葉に、「邂逅(かいこう)」という言葉がある。
人生の途上において、重要な機縁となる巡り会いの事だ。
人と人との出会いが、新たな出会いを手操り寄せ
素晴らしい関係をつくり、こうして感動を生む。
まさに「邂逅」そのものだと思う。
それは、一匹の蚕が糸を生み、紡がれ、織物となり、
服へと変貌をとげる関係に似ている。
皆様と衣が「邂逅」と呼ばれる関係になれます事を祈りながら・・・。
来年も皆様にとって いい年であります様に・・・。
写真:上から「代官山」「コロモール」「大津」「三条」
「名古屋」 そして・・「工房」です。
詳しい様子や結果は、
各店にて是非お聞き下さい!