BLOG

『阿波藍』 衣主(ころもあるじ)2011.09.30

「四国三郎」
これは徳島県を東西に流れ、昔から雨季には毎年の様に氾濫を繰り返し、加工沿岸の農家の人々を苦しめてきた暴れ川「吉野川」の異名です。

先月、台風15号が接近する土砂降りの雨の中、走る車からみた水位の上がった吉野川は“コワイ”とまで思いました。でも、ここ阿波の国の人々は、この吉野川が上流から運んでくる沃土(よくど)を利用し、雨季まで収穫できる蓼藍(タデアイ)を栽培し、水田を藍畑に変え、天然染料の王道、阿波藍の美しさを育ててきたのです。

四国大学の“藍の家”で、阿波藍の伝統工芸士作家を講師に迎え、朝9時からの勉強会に参加した私にとっては、この天気もひとつの意味を持っていたのかも知れません。

“筒描き”“ろうけつ”

私が選んだ講義です。渋紙製の筒に米糊を入れ、もみ出し、紋様を描き、藍が染まらないよう、防染し作品を仕上げる。Photo

言葉にすれば一言なのですが、自由にならない糊との格闘、藍甕(あいかめ)につける時間の秒単位、分単位の争い。“気まぐれ”が好きな私は、きっと誰よりも心の中が悪戦苦闘でした。2

何でもスピードの時代…。どうバイパスで近道を作り、いかに速く目的地にたどり着くかを考える。それが、とても名誉な事のような今の時代…。でも、そこには時代に逆流し、何かを訴え続けているような時間がありました。

眠りからさめた藍の色素が水面を走り、布に広がる青色の風景。何かの啓示のごときものさえ感じさせてくれました。時の階段を降りているのかも知れないけれど、私の中の“旬”が今、この『阿波本藍』です。3

ハンガリーから、この大学に勉強に来られている方に教えられた言葉です。

「“阿波藍”は宝石です。どんなダイヤモンドより素晴らしい。」

我々民族の宝物を少しずつでも伝え、残すことも、大切な役割かも。もうすぐ吉野川のまわりの畑には、二期目の藍の花が咲きます。

カテゴリー

アーカイブ